2008年08月25日

 言葉への意欲

貝を加工した箸置きが二つ、
水牛の角から作ったレンゲが二つ、切子のぐい呑みが一つ。

その人は、そんな買い物をされながら、
「此の頃、物欲が無くなったわ。若い頃は、なんでも欲しかったのに。物欲だけでなく、いろんな欲が薄れてしまったわ。
                           欲があるというのは若いという証拠ね。」

「そうですね、私も随分、欲が無くなりました。」
「貴女はまだお若いから、そんなことないでしょう。」
「いいえ、もう、駄目です、本当に。」


年に、二、三回ほど、来店してくださるそのお客様との会話は、そんな切り口から始まった。

「でも、不思議なことに、言葉への意欲だけは衰えないのよ。あなたもそうじゃない?。」


■寺院で鳥を放ち、功徳を得る、そのためのもの、と聞いてもう何度か買い付けている鳥篭。
 そして、楽しさ溢れるこのカゴを心弾ませて買っていく客・・・どちらも素敵で魅力的。心が温まる。









今までの短歌結社の他に、新しい結社に入会されたというその人は、
「これは業なのよ。もう、死ぬまで離れられない業なのよ。」と、コロコロとお笑いになった。


新たに入会したのは、佐々木幸綱の「心の花」だという。
今までの結社に対する遠慮や恩義のようなものもあり、それはそれとして続け、
新しい結社の中では、別の自分を掘り起こしたいのだという。

そのことを、その人は、「言葉への意欲」という言葉で表現されたのであった。

それは、物欲でも色欲でもない別の欲望である。表現欲とでもいうのだろうか。
死の寸前まで、衰えそうにない欲望である。
それがあるから、元気に生きられる。それがあるから、たやすくは呆けられない。それがあるから沢山の本を読む。健康にも気を使う。


そのお客様に指摘されて、私にも同じような欲があることに気が付いた。
また、そのことのために、日々、苦しんでいることにも気が付いた。
けれどもそれは、決して止められないものであることにも・・・・・。












  
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2008年08月18日

 縄文の台所

暮らしの手帳に瀬戸山玄さんの「縄文の台所」の連載がはじまった。
第35号の今回は連載の皮切りである。


瀬戸山さんは、食や自然など、世の中の不具合を鋭い感覚で見抜かれ、警告され続けてきた優れたルポライターである。
今回の発信源は高山市であり、その為、身近な人達も登場し、今後の展開が楽しみである。

初回の案内役は、中学生でヤジリ5千個を集め、
大学時代、「天職は料理人、ライフワ‐クは考古学」と誓い、
藤森栄一賞を受賞された割烹料理「あんらく亭」のご主人、吉朝則富さんである。


パキスタンの砂漠の入り口の村から2時間、陶器の村で見つけたとバイヤーが話すこのフリットウェアー。
焼のあまさにゆるい手描きが楽しくて、大切に大切に使う。きっとその村に流れる時間そのものなのだろう。





ぺ‐ジを繰ると、その吉朝さんの手料理が、「夏の縄文ごはん」として、写真付で掲載されている。

縄文クッキー、いのししの干し肉、岩魚と鮎の串焼き、山菜サラダ、炒り地蜂、などなど、デザートや酒もある。
所謂、縄文のフルコースである。

酒は、山葡萄の実を潰して大量に漬け込んだ赤ワインである。

それは、主に神に捧げたものだが、私は、その赤い酒に幻惑された縄文の女を思い浮かべた。
あんらく亭の大フアンである私には、その料理と酒に幻惑されて、数知れぬ失敗を繰り返してきた過去があるからである。

 


  
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2008年08月09日

三つ子の魂

幼馴染の房ちゃんから本が届いた。
京都大学名誉教授である笠原三紀夫氏の書いた<エネルギ‐と環境の疑問>という本である。

前表紙に一点、裏表紙に五点、
房ちゃんの版画 (シルクスクリ‐ン)がカラ‐で掲載されている。
また、各章の区切りには、同じ作品がモノクロで彼女のコメントと共に掲載されている。

添えられた手紙によれば、インタ‐ネットで彼女の版画を見た笠原氏が、
作品制作の根本思想と本出版の根本思想が一致することに気付き、
固い話のディ‐ブレイクとして、掲載させて欲しいと要望されたということであった。


■メキシコのトナラ焼きには身近な動物をかたどった物が多くあり、その背中には、草や花、虫や獣など、奇想なモチーフが用いられて描かれている。
 私の好きなこの大きな猫も背中に白い鹿を背負っているが、この飛騨の地で何を想っているのであろうか。







手紙の中で彼女は、
洞爺湖サミットの生ぬるさを指摘し、目先しか見ない人達をエゴの固まりだと指弾している。
彼女の版画制作のテ-マは、「地球の環境保全と世界平和への祈り」であるという。


「純粋だなあ」

私は、子供の頃の房ちゃんを思い浮かべた。

一寸法師の真似をして遊んだ時、房ちゃんはそのたらいの船で都に辿りつけると思っているらしいふしがあった。
可愛らしい人であった。

代情房子 作品HP  ・・・ 純粋さを保つ人間の深淵を覗くことが出来ます。    




  
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2008年08月03日

ハスと男と二人の女


午前六時半、
然る寺院の伽藍に座る。

大学教授を退いた男が、第二の人生を凌ぐために始めた研究の意義や成果を拝聴する為だ。
また、日本の最高学府を極めたこの友人の脳の内部を探る目的も絡んでいる。

口の中の粘液を採取し、DNA解析により飛騨人のル‐ツを探るという彼の研究は、
己の根源を探るという意味では文学的であり、長閑であり、憎めないものである。

元々、男と女の結合に由来する研究には、エロスの香りが潜んでいる。
まなじりをあげて戦闘的になる必要もなく、さりとて、寝物語に堕する必要もない。

彼によれば、飛騨人のル‐ツは琉球系縄文人だという。

彼の話を聞きながら、私は私のル‐ツに思いを馳せた。
私を生んだ母を思い、父を思った。

私は、父と母との情熱的な思いの結実であろうか。それとも、惰性的な行為の結実であろうか。
私を支える血は、如何なる人を掻い潜った血であろうか。
もしかしたら、人さらいや泥棒や極悪人の体内を流れてきた血かも知れない。
しかし、どうであろうとも、私は血の継続によって存在している。


■インド・カシミール地方の民芸品 ペーパーマッシュの小箱の柄のように、細かな花柄がひとつひとつ手書きされた椅子。
この木製の折りたたみ椅子を車に積んで思うままに走り、どこかの木陰でチャイでも飲みたい。









優しい話を難しくし、難しい話を優しくする彼の頭脳の冴えは見事である。
彼の口から軽々と飛び出す知識の欠けらは、聴衆を魅了する。
彼はチンパンジ‐の遺伝子、即ち設計図は、人間とほぼ同じであると述べた。
だから、チンパンジ‐にも極楽があってもいいと力説した。

盛大な拍手を得て、彼の講義は終わった。伽藍に下がる瓔珞を揺るがすごとき拍手であった。
彼を崇拝するという友人のSも、力いっぱい手を叩いていた。私も、少し気後れしつつ手を叩いた。

帰り際、そのSを寺院の裏にあるハス池に誘った。
早朝のハス池には、極楽浄土を具現するかのような美しい桃色のハスが咲いていた。

チンパンジ‐にも極楽があってもいいと力説した彼の極楽とは、如何なるものだろう。

私は、彼を最も崇拝するというSの顔を見た。
Sは、極楽に舞うという天女のような眼差しで、ハスに見入っていた。
あどけなさの漂う彼女にも琉球系縄文人の血が流れているのであろうか。

「一万年前の大賀ハスの花はどんな花だったんだろうね。」とSが言い、
「花弁が尖っているのが大賀ハス。」 と私は答えた。
話は人のルーツから蓮のルーツに及び不思議な朝であった。












  
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2008年07月27日

奇縁まんだら




日本経済新聞に連載されていた瀬戸内寂聴の<奇縁まんだら>が本になった。

21名の作家との関りを書いたものであるが、
横尾忠則の筆になる肖像画が、一人の作家に対して、一枚から三枚も付いていて、
この本に鬼に金棒的な精彩を与えている。

寂聴という作家の目と
横尾という画家の目で捉えたもの物書きの凄さが、面白く表現されている。

有髪の頃からの様々な出会いが、
八十歳を越えた達意の筆で初々しく書かれている。


■グァテマラの木彫りの動物はこれでもかというほど強い色彩で、何の用途もないが傍にあると何かしら
元気をもらう気がする。 






 私が面白いと感じたのは谷崎潤一郎である。

彼は終生、艶を求めて生きた作家であった。
千代婦人を佐藤春夫に譲り渡したり、人妻であった松子夫人に夢中になり、
何年もかけて手に入れるなどした話はあまりにも有名である。
しかし、動じることなく、恥じることなく、不倫を貫いた。

 寂聴が憧れの谷崎に対面できたのは、既に枯れ果ててしまったと見られる老人の頃であったが、
その時、谷崎は指のない手袋を嵌めていた。

それは、松子婦人を傍らに置きながら、
最後の想い人といわれた渡辺千万子が編んだものであった。
死の前年のことである。


  
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2008年07月20日

独標を這う

    

      < バンダナにて頭部を包むこの吾は蝸牛(エスカルゴ)かも 独標を這う >


 西穂高岳の山小屋で買った赤いバンダナで頭部を包み、岩場を登る。
目交には、覇者の如くそそり立つアルプスの峰々がある。
頂上への通過点である「独標」というケルンのような岩山の岩に手を掛け、
そろそろと登る。

目の前にはピラミッドと呼ばれる小山があり、その前方にもよく似た形の小山があり、
アップダウンを繰り返しながら、難行の果てに、西穂高岳の頂上に到達することが出来るらしい。

独立峰だといわれる山の岩にしがみ付いていると、
地球がさかさまになったような感覚を覚え、
その山に張り付いたまま方向を見失った<蝸牛>になったような錯覚を抱いた。


■そうそう売れるものではないのに買い付けてしまうタイのヘンプ(大麻麻)糸は乾いたような素材感が良い。
 日本ではその成長の速さから産着に麻の葉柄が多いが、タイでは如何に・・・









7月15日の火曜日、山岳ガイドのO氏と二人、西穂高岳の独標に登った。
O氏によれば、その日は、めったに無い登山日和とのこと。どの山もしっかり見えて、心地よい風も吹いていた。
当初私は、山小屋まで行くことが出来れば十分だと思っていたが、
快調な滑り出しのまま好調を維持し、独標の頂きに立つことが出来た。


  「嬉しい、嬉しい、嬉しい」

私は子供のように「嬉しい」を連発して喜んだ。それは久々に味わった達成感であり充足感であった。
今度はどの山に登ろうか・・・などと、四方にそそり立つ山の名を、O氏に尋ねたりした。



 帰途、尾根道の傍らで、衣替えしたばかりの雷鳥の雄に出会った。

 這い松の実を啄むホシガラスにも出会った。

 キヌガサソウ、ゴゼンタチバナ、ベニバナイチゴ、・・・など、愛らしい花々にも出会った。

 人への想いが募り、
 寂しさを凌がねばならない時、
 登山がいいと密かに思った一日であった。




  
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2008年07月12日

もう、白川郷

娘夫婦に誘われ、開通したばかりの高速道路を走った。
高山から白川郷へ、気軽なランチに出掛けたのだ。


所要時間は僅か三十分。
えっ!もう、着いたの。もう、白川郷なの。信じられないなあ。


川端康成の雪国の冒頭ではないが、「トンネルをくぐればそこは白川郷であった」という感じなのだ。
遠くて辛い道のりの果てに漸く辿り着くという印象であった落人の里が、
郊外にあるちょっと不思議な場所に来たという印象なのだ。


■土の厚みと暖かさのせいか、釉薬の白い色までも暖かな印象のパキスタンのカフェオーレボウル。
 すぐに壊れてしまいそうなこの素朴な器、大切に使い続けるような暮らしに憧れるものである










長生きはしてみるものだ。
同じ場所に行くのにこんなに時間の短縮が出来るなんて。まるで、寿命が十年も延びた印象なのだ。


毎日白川郷へ通うとすれば、往復2時間の短縮は、
一年で730時間、二年で1460時間、十年で7300時間の短縮になる。


人間の知恵が生み出したこの余暇を、大切にしなくてどうする。
活かしてこそ、人というものだろう。


遠くて辺鄙がゆえに保たれてきた世界遺産の村が、映画村のセットのようにみえたのは、一瞬の錯覚であったか。
この錯覚が、現実にならないように、祈っている。    






  
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2008年07月06日

ある歌集に寄せて

    

 岐阜県中津川市にお住まいの大島登良夫さんから、第四歌集「恵麓後集 (けいろくこうしゅう) 」を頂いた。 

大正二年生まれで九十五歳になられる大島さんは、私の所属している新アララギの同人であり、
歌壇の代表的存在である大島史洋さんの父君である。

 以前、岐阜アララギの歌会で二度ばかりお会いしたことがあるが、小柄で優しい感じのする老人であった。
しかし、枯れたと見せかけて、その何処かに母性をくすぐるような色香を秘めた御仁のようでもであった。

大正二年生まれの丑年だと聞き、私の母と同年だったので、格別の親しさを抱いたのであったが、
大島さんも私に対して、わが子のような親しみを感じてくださったようであった。


■モロッコの美しいモザイクランプ。ムシャラビ(すかし模様)のランプも、ヤギの皮のランプも
どれも魅力的。山の家で履くバブーシュもモロッコ製






 さて、その恵麓後集であるが、
「あとがき」には恵那山の麓の小さな町に縁あって住み、朝夕仰ぎながら生きてきた故の歌集名であると記されている。
 
大島さんは、誰にとっても未知の分野の老いの日々を、淡々と生きていらっしゃる。
大上段に構えることも無く、そのひらめきや感慨を、短歌と言う定型に当て嵌めて昇華されている。

「平凡にして単調な歌のくり返しに過ぎないが致し方ない」と、謙遜されているが、
鋭い社会詠あり、自己内部への追及ありで、決して単調なくり返しなどではない。

病弱な自身の老体にも鞭を打ち、奥様の看取りもされ、
洗濯機の操作から始まり、ごみの分別や、味噌汁の作り方など、
やむを得ず覚えなければならないことが沢山あった。また、最愛の奥様も、旅立ってしまわれた。

生き残ることは、果たして幸福であろうか。
老いと孤独を凌ぐことは、悲しみであろうか。
語る人もない夜を、たった一人で耐えることが出来るだろうか。

大島さんなら耐えられる。押し寄せる諸々の悲しみを、明るい諦念に置き換えて、
短歌という型枠に閉じ込め、その楽しみに興じながら、淡々と生きてゆかれることだろう。

母性をくすぐるような色香を大切にされ、いつまでもお健やかにお過ごし下さいますように。




        
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2008年06月30日

特注のカクテル

   <特注のカクテルの名は「萌える春」いつもの酒場の酔いどれ二人>

 これは、四月に詠んだ歌であるが、私は、行きつけの酒場で、特注のカクテルを頼むことがある。
カクテルの名は、その場の雰囲気や思いつきで決めることにしている。


「雨宿り」「行きずり」「吹雪」などなど、
今までにもいろいろ頼んだものである。
バ‐テンのYは、いやな顔などせず、どんな名前のものでも作ってくれる。


女ばかり三人でいったときに頼んだのは「熟女」であった。
それはいかにも、熟女を髣髴とさせる深い紅色のカクテルであった。
ベースは何と何であったのか、それは忘れてしまったが、
Yの一匙が、酔客の舌を完全に支配することに、恐怖を感じたのであった。

しかし、既成のカクテルを頼まず、思いつきの名を言って特注のカクテルを頼むというわがままな行為が、
何故か嬉しいのである。



■絵柄を掘り込んだ木版を押して、丁寧に作られるインド更紗布。
 フランス人がデザイナーだというこのSesamoの布はどこか洒落ていて、アイアンの椅子を華やかせてくれる。









つい二日ばかり前、月に一度の頼母子講があった。
高山市内に住む高校時代の同級生が集う会で、もう、何十年も続いている。

頼母子講とは名ばかりで、内実は月に一度の飲み会である。

呑めば呑むほどに柔らかくなり、遠慮もない議論となる。
男も女も、口角泡を飛ばして、時には凄まじいバトルを展開することもある。
時にはしんみりと恋の話をすることもある。
また、ひだ牛の偽装の話も、サミットの話もする。
その夜は難しい漢字の読み方が話題になり、解らぬままに散会になった。


帰途、いつもの酒場に立ち寄った。
そして、「敏(びん)ちゃんカクテル」を呑んだ。
友の名前を冠したブルーのカクテルである。
その夜で、三度目の依頼であったが、色彩も美味しさも、以前と変わらぬものであった。
既に酒場のレシピに刷り込み済みなのであろう。
思いつきで頼んだカクテルが定番になっているのは格別にうれしいものである。


その晩は、もう一人の友の綽名を冠した「ガチャさんカクテル」も呑んだ。
陽気な友に似た赤い色をした呑みやすいカクテルであった。
大切な友の名と綽名を冠したカクテルが、いつまでも健在でありますようにと祈りつつ、ほろ酔い気分で家路についた。
  







  
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2008年06月20日

 お葉さま

 

友人のNは、函館に拠点を置く文学会、「海峡」の同人である。
石川啄木も所属していたという同人誌である。

 「本は買って読む」を是とする私は、彼から600円で、その「海峡」を手に入れた。
今回の作品は、「清一のニワトリ」という小説であった。


早稲田大学出身の文学士であり、報道関係で凌ぎを削って来た彼は、
その諸々の体験を、エッセイ‐や小説などに昇華させてきたが、生意気な言い方だが、
唸るほどの出来栄えではなかった気がする。

小説に絞って言えば、嘘っぽくて空々しい感じがしたのである。


 しかし、今回の小説は、秀逸であった。
正直、かれの中に潜んでいる底知れぬ力量を見せ付けられた気がした。
推敲に推敲を重ね、時間をかけて、じっくり練り上げた作品という印象を受けた。


 男とか女とか友人とかそんな枠を乗り越えて、人の魂が人を呼び込むというような魅力を感じた作品であった。
語り口も彼本来の暖かさがあり、ユ‐モアがあり、筋立ても自然で、一気に読ませる面白さがあった。
尊敬に値する男だと思った。




■パキスタンの平カゴはまるでアフリカを思わせる大胆な柄と赤い土色が夏によく合う。
パン皿に、またプレーンな皿のトレーとしてテーブルへ、壁に掛けて眺めてみても、計算のない素朴さが心地よい。
 







 小説の舞台は、高山の上二之町にあった肴横丁である。

登場人物は、彼の祖父である清一を取り巻く面々である。
芥川賞の選考委員を長年勤めた滝井孝作も重要な登場人物である。
 筋書きは割愛するが、商いと文学を同じ俎上に置き、その価値観のようなものを、
どちらにも軍配を上げないで比較した作品であったような気がする。



 翌日、彼をケイタイに呼び出し、素晴らしい作品だったと読後感を告げた。
すると彼は、登場人物は全て実名であり、清一の妻のお葉は、Kの祖父の妹だと告げた。
そして、絶世の美人であったことを付け加えた。



「えっ、本当、全て実名なの」
この小説が効を奏したのは、登場人物がすべて実名という辺りにポイントがある気がするのであるが、どうであろうか。
ちなみに、Kは、私の娘の夫である。
       


  
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2008年06月13日

PARISのタニウツギ



 娘と二人、京都に出掛けた。

運転は娘が引き受けてくれたので、私は、窓外の景色を十分、愉しむことが出来た。

 高速道路の沿線には、かのヒロシマにいち早く花開いたといわれる夾竹桃が、
その強靭な生命力を思わせて咲いていた。
山には、大柄で妖艶な女を連想させるホウの花が咲き、田舎娘を思わせるタニウツギの花が咲いていた。

視野に飛び込んでは消え去るそれらの花に喚起されて、私は巴里の旅を思い出していた。
それは、娘と孫娘を伴った十二年前の旅である。

■中国の古い陶片の切り取られた絵柄を見て、たとえば割れる前の壷を想像する。
今は小箱として蘇った燕。、一羽であったのか、何に向かって飛んでいたのか・・・・








 右岸のマルシェで買い物をした後、吸い寄せられるように近づいたのは小さな公園であった。
強い磁力で私を吸い寄せたのは、タ二ウツギの花であった。


 飛騨では六月に咲くタニウツギが四月のパリに咲いていた。
飛騨では野に咲くタニウツギが、巴里では公園に咲いていた。
飛騨では、ダニ花などと厭われている花が、パリでは珍重され、緩やかに枝を伸ばし、
王女のような風格を湛えて咲いていた。

「同じ花なのに、何故、こんなに素敵なのだろう」私は、素朴な疑問をいだいた。

そして、結論付けた。
「パリのタニウツギだから素敵なのだ」・・・・と。





  
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2008年06月06日

 秘め事礼賛

 
二日ばかり前、「秘め事礼賛」という本をよんだ。
それは、おおっぴらには出来ない男と女の恋を礼賛するという内容のものであった。
秘め事ゆえに悲しく、秘め事ゆえに切ない恋。
それを、それ故にこそ尊く美しいものだと捉えて、礼賛するという趣旨であったかと思う。

そこには、公然と認められた者同士の恋や愛ばかりがまかり通る世の中であったなら、物語は生まれず、
この世は味もそっけもないものになっているであろう・・・・と書き添えられていた。

 確かに、物語の世界は一筋縄ではゆかない。
ありえぬような間柄を想定し、ありえぬような筋道を立てて、さもありなんとする恋の話に仕立てあげるのである。



■安土 忠久氏のおおらかな手吹きガラスの大鉢に、ユキノシタの葉を浮かべ、貝殻の首飾りを沈めてみた。
 食用で売られていたこの葉、裏側の色は牡丹のようでどれだけ眺めていても飽きない。
 
 





 しかし、昔から、「事実は小説より奇なり」と言い、男も女も決して隅には置けない生き物なのだ。
押さえ込めば羽ばたき、放し飼いにすれば、腑抜けのようにおとなしくなる。
その有様は、老若男女を問わず千差万別である。

 「英雄色を好む」というが、古来、一夫一婦制ではおさまりきれない男がいる。
いや、女もいる。そして、それらの人達は、やれ不倫だ、やれ不道徳だと、世間からたたきのめされるのだ。

 フランス大統領のサルコジ氏が、「大統領にも幸せになる権利がある」といって、前夫人と別れ、
モデル出身の女性と一緒になったのは近頃のことだ。
フランス人らしい話であるが、秘め事が公然の事実となり、衆目にさらされてしまった現在、
燃えるような恋も、切ない気分も消滅したことであろう。

 それを考える時、幸せとは一体なんだろう・・・・と思い、私は、私の来し方を、「まあいいか」と、肯定するのである。
「秘すれば花」とも言うではないか。

 幾つになっても、一輪の花でありたい。そして、めくるめくような思いを失いたくはない。
「謎めく一輪の花」の自負に支えられて生きてゆけたらと思うのである。

                とはいうものの、独り身のなんと寂しいことよ。嗚呼。






  
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2008年06月02日

山椒の実



夏が近付いた我が家の裏庭は、ジャングルの様相を呈している。
木が成長するということを考慮せず、間隔を無視して苗木を植えた結果の無慚である。

 梅、花桃、連翹、こごめ桜、木蓮、リラ、グミ、沙羅双樹、薔薇、紫陽花、雪椿、アメリカハナミズキ、
百日紅、ムクゲ、バイカウツギ、藤、などなど、

猫の額ほどの敷地は、生存競争の場と化している。
しかし、そのどれもが、私の好みにかなう愛しい存在なのだ。


 中でも、山椒、梅、グミは、食材として役立つ御三家だ。
夕方に雨が降るというので昼御飯を食べた後、急いで山椒の実を摘んだ。
いつも美味しい伽羅蕗を届けて下さるWさんに差し上げる為だ。
山椒の香りが、三時間ほどたった今も、指先に漂っている。




■青山のギャラリーで仕入れたイランのアンティークのインク壷を緑の大皿に載せて。
 こなれた筆遣いで描かれた兎の軽快な様子・・・行き先を尋ねてみたい。


 






「山椒は小粒でピリリと辛い」というが、実を付けぬ前には、その柔らかな芽が、私の拙い料理を盛り立ててくれる。
ホウバ寿司にも欠かせない尖兵だ。

私は、この山椒の実で、Wさんの美味しい伽羅蕗をせしめようと密かに思っている。     




  
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2008年05月30日

京の地図

 二日ばかり前のこと、寺町二条の仕事先を出た私は、三条界隈を散策し、
俳優Nの行き付けの茶房でカフェオレを飲んだ。

それから、寺町二条に引き返し、そのまま北に向かって京都御所の方向に歩いていた。
頭の中には記憶したばかりの明確な碁盤の目があり、
それが、くっきりと浮かびあがっていた。

「この一本道をひたすら歩けばいいのだ」

 地図を読むという習慣をもっと早くから身に付けていたなら旅の楽しさも倍増していただろうに・・・などと
思いながら、歩いていた。



■タイ族の美しいブランケット。 中国人はタイ人を 泰、雲南省に住むタイ族を人偏に泰、 と書いて区別している。
 深いグリーンのインド木製ドアも、この布も、京都のバイヤーが買い付けてきたもの








 おかしいと気が付いたのは、四条の大通りに出た時であった。
私は、それでも多少の確信を持ちながら、地元の人らしき夫人に尋ねた。

「あなた、何をおっしゃるの。御所は随分むこうですよ。
私の足で三十分はかかりますよ。」

「えっ」と、私は絶句した。
私は、延々と続く寺町通りの看板に安心しながら逆方向に進んでいたのである。
鴨川の流れのようにひたすら南を目指して揺籃していたのである。




  
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2008年05月25日

遠い記憶

 S氏が、ワインの本を上梓された。
本の帯には、「ワインを選ぶ目、差し上げます」とあり、ワインアドバイザーとしての薀蓄が、事細かに述べられている。
文芸社刊のこなれた本である。

 S氏は高山で酒屋を営みながら、詩やエッセイなどを書き、謡曲を唸り、山に登り、写真を撮り、酒を嗜み、
何事に対しても一家言を持つ一筋縄ではない人間である。

 そのS氏から、宴のご案内を頂いた。
私は、ワインの本の上梓祝いだろうと勘違いして、彼の本を握りしめ、かつ、読破して出掛けた。

   
       ■ラインの太さ、四隅の花模様、
        型でとったであろう数字部分の厚みや、白色と言い切れないベースの微妙な色味・・・
        手仕事の、魅力あるこのタイルをインド人は家のどこに貼るのだろうか。
         








 店の奥座敷には、着流しで決めた彼が座っていた。
そして、持ち込みが許されたという様々なワインとそのワインを注ぐグラスの数々が並べられていた。
ワインと料理の組み合わせを力説する彼は、料理にあわせて次から次と封を切り、
その都度異なるグラスに注いだ。

メンバーは互いの関係も知らない7人。
内、二人の若者は、S氏と初対面だと言い、本の上梓のことも知らないと言う。

 「これは何なのだろう。」
この会の趣旨が読めぬまま、ソムリエナイフを動かす彼の鮮やかな手付きに見とれて、ワインを呑み続けた。
会は終焉となり、私はすっかり泥酔していた。

 昔の記憶が蘇った。
後先も考えず呑みあかし、記憶を喪失した遠い夜の記憶である。  
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2008年05月23日

マー族の山菜取り

 普段より来客数の多い日曜日であるが、スタッフに店番を頼み、
山菜取りに出掛けた。
<マー族>を名乗る十人ばかりのメンバーが勢揃いしての、楽しい一日であった。

 わらび、独活、わさび、たけのこ、たらの芽。クレソン、こんてつ、ハリキリ、などなど、
種類も量も豊富で、山国飛騨の豊かさを再認識したのであった。

 マー族のほかに、二名の個性的なゲストの参加があり、
山菜取りは、いやがうえにも盛り上がった。
一人は報道関係に勤務するN氏であり、一人は、画家の熊谷榧氏である。

                   
      芸術性伝播せよと吾は飲む 守一の娘の口付けしワインを

拙い一首であるが、私はその日、熊谷守一の娘、榧さんから無言の教えを頂いた。




                  ■中国 北部の薬味つぶしの石臼に水を張り、季節の花を投げ入れる。
                   素材の持つ力は大きく、どんな場所でも、何を入れてもとても絵になる。
 







榧さんは、対象を凝視し、寸暇を惜しんで鉛筆を動かしておられた。
現場での<写生>を、もっとも大切なこととされているのだ。

彼女の絵に
躍動感や楽しさが感じられるのは、その所為だろう。 





  
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2008年05月18日

セパタクロー

 レジカウンターの椅子に座って物思いに耽っている私の目の前に、
竹製の球体がぶら下がっている。
東南アジアからの輸入品である<セパタクロー>である。

お客様に、
「何ですか?これは」と、毎日のように質問される商品である。
その都度、
「これは、サッカーボールの原型でセパタクローと言います。インドネシアの遊具の一つですが、
 お客様のアイデア次第でいろんなふうに使っていただけると思いますよ。」などと、答えている。

 このセパタクローひとつにしてもそうだが、私には商品に対する確たる知識がない。
仕入先からの簡単な説明をそのままなぞるのが精一杯なのだ。
売り子として、あと一押しの迫力に欠けるのは、その辺りである。


■ セパ(sepak)はマレーシア語で蹴る意、タクロー(takraw)はタイ語でボールの意。
  大小様々なものをカゴに入れると、それだけで美しいオブジェのよう。








野の花を一輪さしてみる。天井から水糸で吊ってみる。
窓辺に何気なく転がしてみる。退屈しのぎに蹴り上げてみる。右手と左手で交互に受け止めてみる。
セパタクローは様々な表情を見せて私を愉しませてくれる。
 たった一個のセパタクローが、優雅に私の心を掴む。
亜熱帯の竹林で突っ立っていたでくの坊の竹が、人の手を介して雅な球体の遊具となり、
美しい夢を育んでくれる。

 私はセパタクローに蹴鞠を重ねてみることがある。
格別な階級に暮らした男達の滑稽なほどに長閑で優雅な遊びの世界を偲んでみることがある。







  
Posted by 宣 at 12:17Comments(0)

2008年05月16日

柳絮(りょうじょ)飛ぶ夜

            

   手櫛にて髪梳かしつつ歩みたり仄かに白く柳絮飛ぶ夜を

これは15年ばかり前に詠んだ私の歌である。
恋人との逢瀬の夜に詠んだ歌である。
河畔の柳が、その種子を含んだ穂綿(柳絮)を町のあちこちに飛ばしている夜であった。
夜目にも白い柳絮が絡みつき、私は手指で髪を梳いた。

遠い過去に詠んだこの歌を思い出したのは、昨日の午後であった。
銀行からの帰途、古い町並み辺りで、人魂のように彷徨う柳絮を見た。



■昔の日本の手吹き硝子のような、ぽってりとしたあたたかさのあるイランのガラスと、
  美しく繊細な、青色が美しいエジプトのヘラードガラス。眺めては使い、使っては飾る









白い柳絮は、
「安政2年創業」と書かれた造り酒屋の看板に纏いつき、
上へ下へとダンスでもするかのように浮遊を繰り返していた。


大切な種子の着地点を求めて彷徨う柳絮、
私には、過去の切ない思い出に絡まる、いとしい存在でもある。







  
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2008年05月14日

ジグソーパズルのピース

 何の本であったか忘れたが、人は、一枚のジグソーパズルを完成させて人生を終えるのだ・・・
というようなことが書かれていて、妙に納得した覚えがある。

 最後となる一枚のピースを嵌め込んだ時、パズルは完成し、終焉となる。
出来るだけ納得のいくパズルを構築したいと思えばそれなりの努力も必要だろう。
しかし、どんな絵柄が出来上がるかは、誰にとっても未知である。

前期高齢者となった私にしても、まだまだ、未知の人との出会いがあるかも知れないし、
衝撃的な景色との出会いがあるかもしれないのだ。


■ざっくりとした紡ぎの綿の生地はインド・ウッタルプラッシュ州で丁寧に作られたもの。
 小さなポットの持ち手などに、鍋つかみのように用いるこの鳥は、
 <つかみ鳥>という暖かなネーミング。
 






                
 


器や布など、店で物を売りながら、
そうした小さな物の存在も大切なピースの一つだと思うことがある。
そして、売り手としても確かな目を養うことの大切さを痛感するのである。




  
Posted by 宣 at 18:20Comments(0)