2008年06月30日

特注のカクテル

   <特注のカクテルの名は「萌える春」いつもの酒場の酔いどれ二人>

 これは、四月に詠んだ歌であるが、私は、行きつけの酒場で、特注のカクテルを頼むことがある。
カクテルの名は、その場の雰囲気や思いつきで決めることにしている。


「雨宿り」「行きずり」「吹雪」などなど、
今までにもいろいろ頼んだものである。
バ‐テンのYは、いやな顔などせず、どんな名前のものでも作ってくれる。


女ばかり三人でいったときに頼んだのは「熟女」であった。
それはいかにも、熟女を髣髴とさせる深い紅色のカクテルであった。
ベースは何と何であったのか、それは忘れてしまったが、
Yの一匙が、酔客の舌を完全に支配することに、恐怖を感じたのであった。

しかし、既成のカクテルを頼まず、思いつきの名を言って特注のカクテルを頼むというわがままな行為が、
何故か嬉しいのである。



■絵柄を掘り込んだ木版を押して、丁寧に作られるインド更紗布。
 フランス人がデザイナーだというこのSesamoの布はどこか洒落ていて、アイアンの椅子を華やかせてくれる。









つい二日ばかり前、月に一度の頼母子講があった。
高山市内に住む高校時代の同級生が集う会で、もう、何十年も続いている。

頼母子講とは名ばかりで、内実は月に一度の飲み会である。

呑めば呑むほどに柔らかくなり、遠慮もない議論となる。
男も女も、口角泡を飛ばして、時には凄まじいバトルを展開することもある。
時にはしんみりと恋の話をすることもある。
また、ひだ牛の偽装の話も、サミットの話もする。
その夜は難しい漢字の読み方が話題になり、解らぬままに散会になった。


帰途、いつもの酒場に立ち寄った。
そして、「敏(びん)ちゃんカクテル」を呑んだ。
友の名前を冠したブルーのカクテルである。
その夜で、三度目の依頼であったが、色彩も美味しさも、以前と変わらぬものであった。
既に酒場のレシピに刷り込み済みなのであろう。
思いつきで頼んだカクテルが定番になっているのは格別にうれしいものである。


その晩は、もう一人の友の綽名を冠した「ガチャさんカクテル」も呑んだ。
陽気な友に似た赤い色をした呑みやすいカクテルであった。
大切な友の名と綽名を冠したカクテルが、いつまでも健在でありますようにと祈りつつ、ほろ酔い気分で家路についた。
  







  
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2008年06月20日

 お葉さま

 

友人のNは、函館に拠点を置く文学会、「海峡」の同人である。
石川啄木も所属していたという同人誌である。

 「本は買って読む」を是とする私は、彼から600円で、その「海峡」を手に入れた。
今回の作品は、「清一のニワトリ」という小説であった。


早稲田大学出身の文学士であり、報道関係で凌ぎを削って来た彼は、
その諸々の体験を、エッセイ‐や小説などに昇華させてきたが、生意気な言い方だが、
唸るほどの出来栄えではなかった気がする。

小説に絞って言えば、嘘っぽくて空々しい感じがしたのである。


 しかし、今回の小説は、秀逸であった。
正直、かれの中に潜んでいる底知れぬ力量を見せ付けられた気がした。
推敲に推敲を重ね、時間をかけて、じっくり練り上げた作品という印象を受けた。


 男とか女とか友人とかそんな枠を乗り越えて、人の魂が人を呼び込むというような魅力を感じた作品であった。
語り口も彼本来の暖かさがあり、ユ‐モアがあり、筋立ても自然で、一気に読ませる面白さがあった。
尊敬に値する男だと思った。




■パキスタンの平カゴはまるでアフリカを思わせる大胆な柄と赤い土色が夏によく合う。
パン皿に、またプレーンな皿のトレーとしてテーブルへ、壁に掛けて眺めてみても、計算のない素朴さが心地よい。
 







 小説の舞台は、高山の上二之町にあった肴横丁である。

登場人物は、彼の祖父である清一を取り巻く面々である。
芥川賞の選考委員を長年勤めた滝井孝作も重要な登場人物である。
 筋書きは割愛するが、商いと文学を同じ俎上に置き、その価値観のようなものを、
どちらにも軍配を上げないで比較した作品であったような気がする。



 翌日、彼をケイタイに呼び出し、素晴らしい作品だったと読後感を告げた。
すると彼は、登場人物は全て実名であり、清一の妻のお葉は、Kの祖父の妹だと告げた。
そして、絶世の美人であったことを付け加えた。



「えっ、本当、全て実名なの」
この小説が効を奏したのは、登場人物がすべて実名という辺りにポイントがある気がするのであるが、どうであろうか。
ちなみに、Kは、私の娘の夫である。
       


  
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2008年06月13日

PARISのタニウツギ



 娘と二人、京都に出掛けた。

運転は娘が引き受けてくれたので、私は、窓外の景色を十分、愉しむことが出来た。

 高速道路の沿線には、かのヒロシマにいち早く花開いたといわれる夾竹桃が、
その強靭な生命力を思わせて咲いていた。
山には、大柄で妖艶な女を連想させるホウの花が咲き、田舎娘を思わせるタニウツギの花が咲いていた。

視野に飛び込んでは消え去るそれらの花に喚起されて、私は巴里の旅を思い出していた。
それは、娘と孫娘を伴った十二年前の旅である。

■中国の古い陶片の切り取られた絵柄を見て、たとえば割れる前の壷を想像する。
今は小箱として蘇った燕。、一羽であったのか、何に向かって飛んでいたのか・・・・








 右岸のマルシェで買い物をした後、吸い寄せられるように近づいたのは小さな公園であった。
強い磁力で私を吸い寄せたのは、タ二ウツギの花であった。


 飛騨では六月に咲くタニウツギが四月のパリに咲いていた。
飛騨では野に咲くタニウツギが、巴里では公園に咲いていた。
飛騨では、ダニ花などと厭われている花が、パリでは珍重され、緩やかに枝を伸ばし、
王女のような風格を湛えて咲いていた。

「同じ花なのに、何故、こんなに素敵なのだろう」私は、素朴な疑問をいだいた。

そして、結論付けた。
「パリのタニウツギだから素敵なのだ」・・・・と。





  
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2008年06月06日

 秘め事礼賛

 
二日ばかり前、「秘め事礼賛」という本をよんだ。
それは、おおっぴらには出来ない男と女の恋を礼賛するという内容のものであった。
秘め事ゆえに悲しく、秘め事ゆえに切ない恋。
それを、それ故にこそ尊く美しいものだと捉えて、礼賛するという趣旨であったかと思う。

そこには、公然と認められた者同士の恋や愛ばかりがまかり通る世の中であったなら、物語は生まれず、
この世は味もそっけもないものになっているであろう・・・・と書き添えられていた。

 確かに、物語の世界は一筋縄ではゆかない。
ありえぬような間柄を想定し、ありえぬような筋道を立てて、さもありなんとする恋の話に仕立てあげるのである。



■安土 忠久氏のおおらかな手吹きガラスの大鉢に、ユキノシタの葉を浮かべ、貝殻の首飾りを沈めてみた。
 食用で売られていたこの葉、裏側の色は牡丹のようでどれだけ眺めていても飽きない。
 
 





 しかし、昔から、「事実は小説より奇なり」と言い、男も女も決して隅には置けない生き物なのだ。
押さえ込めば羽ばたき、放し飼いにすれば、腑抜けのようにおとなしくなる。
その有様は、老若男女を問わず千差万別である。

 「英雄色を好む」というが、古来、一夫一婦制ではおさまりきれない男がいる。
いや、女もいる。そして、それらの人達は、やれ不倫だ、やれ不道徳だと、世間からたたきのめされるのだ。

 フランス大統領のサルコジ氏が、「大統領にも幸せになる権利がある」といって、前夫人と別れ、
モデル出身の女性と一緒になったのは近頃のことだ。
フランス人らしい話であるが、秘め事が公然の事実となり、衆目にさらされてしまった現在、
燃えるような恋も、切ない気分も消滅したことであろう。

 それを考える時、幸せとは一体なんだろう・・・・と思い、私は、私の来し方を、「まあいいか」と、肯定するのである。
「秘すれば花」とも言うではないか。

 幾つになっても、一輪の花でありたい。そして、めくるめくような思いを失いたくはない。
「謎めく一輪の花」の自負に支えられて生きてゆけたらと思うのである。

                とはいうものの、独り身のなんと寂しいことよ。嗚呼。






  
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2008年06月02日

山椒の実



夏が近付いた我が家の裏庭は、ジャングルの様相を呈している。
木が成長するということを考慮せず、間隔を無視して苗木を植えた結果の無慚である。

 梅、花桃、連翹、こごめ桜、木蓮、リラ、グミ、沙羅双樹、薔薇、紫陽花、雪椿、アメリカハナミズキ、
百日紅、ムクゲ、バイカウツギ、藤、などなど、

猫の額ほどの敷地は、生存競争の場と化している。
しかし、そのどれもが、私の好みにかなう愛しい存在なのだ。


 中でも、山椒、梅、グミは、食材として役立つ御三家だ。
夕方に雨が降るというので昼御飯を食べた後、急いで山椒の実を摘んだ。
いつも美味しい伽羅蕗を届けて下さるWさんに差し上げる為だ。
山椒の香りが、三時間ほどたった今も、指先に漂っている。




■青山のギャラリーで仕入れたイランのアンティークのインク壷を緑の大皿に載せて。
 こなれた筆遣いで描かれた兎の軽快な様子・・・行き先を尋ねてみたい。


 






「山椒は小粒でピリリと辛い」というが、実を付けぬ前には、その柔らかな芽が、私の拙い料理を盛り立ててくれる。
ホウバ寿司にも欠かせない尖兵だ。

私は、この山椒の実で、Wさんの美味しい伽羅蕗をせしめようと密かに思っている。     




  
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