2008年08月25日

 言葉への意欲

貝を加工した箸置きが二つ、
水牛の角から作ったレンゲが二つ、切子のぐい呑みが一つ。

その人は、そんな買い物をされながら、
「此の頃、物欲が無くなったわ。若い頃は、なんでも欲しかったのに。物欲だけでなく、いろんな欲が薄れてしまったわ。
                           欲があるというのは若いという証拠ね。」

「そうですね、私も随分、欲が無くなりました。」
「貴女はまだお若いから、そんなことないでしょう。」
「いいえ、もう、駄目です、本当に。」


年に、二、三回ほど、来店してくださるそのお客様との会話は、そんな切り口から始まった。

「でも、不思議なことに、言葉への意欲だけは衰えないのよ。あなたもそうじゃない?。」


■寺院で鳥を放ち、功徳を得る、そのためのもの、と聞いてもう何度か買い付けている鳥篭。
 そして、楽しさ溢れるこのカゴを心弾ませて買っていく客・・・どちらも素敵で魅力的。心が温まる。









今までの短歌結社の他に、新しい結社に入会されたというその人は、
「これは業なのよ。もう、死ぬまで離れられない業なのよ。」と、コロコロとお笑いになった。


新たに入会したのは、佐々木幸綱の「心の花」だという。
今までの結社に対する遠慮や恩義のようなものもあり、それはそれとして続け、
新しい結社の中では、別の自分を掘り起こしたいのだという。

そのことを、その人は、「言葉への意欲」という言葉で表現されたのであった。

それは、物欲でも色欲でもない別の欲望である。表現欲とでもいうのだろうか。
死の寸前まで、衰えそうにない欲望である。
それがあるから、元気に生きられる。それがあるから、たやすくは呆けられない。それがあるから沢山の本を読む。健康にも気を使う。


そのお客様に指摘されて、私にも同じような欲があることに気が付いた。
また、そのことのために、日々、苦しんでいることにも気が付いた。
けれどもそれは、決して止められないものであることにも・・・・・。












  
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2008年08月18日

 縄文の台所

暮らしの手帳に瀬戸山玄さんの「縄文の台所」の連載がはじまった。
第35号の今回は連載の皮切りである。


瀬戸山さんは、食や自然など、世の中の不具合を鋭い感覚で見抜かれ、警告され続けてきた優れたルポライターである。
今回の発信源は高山市であり、その為、身近な人達も登場し、今後の展開が楽しみである。

初回の案内役は、中学生でヤジリ5千個を集め、
大学時代、「天職は料理人、ライフワ‐クは考古学」と誓い、
藤森栄一賞を受賞された割烹料理「あんらく亭」のご主人、吉朝則富さんである。


パキスタンの砂漠の入り口の村から2時間、陶器の村で見つけたとバイヤーが話すこのフリットウェアー。
焼のあまさにゆるい手描きが楽しくて、大切に大切に使う。きっとその村に流れる時間そのものなのだろう。





ぺ‐ジを繰ると、その吉朝さんの手料理が、「夏の縄文ごはん」として、写真付で掲載されている。

縄文クッキー、いのししの干し肉、岩魚と鮎の串焼き、山菜サラダ、炒り地蜂、などなど、デザートや酒もある。
所謂、縄文のフルコースである。

酒は、山葡萄の実を潰して大量に漬け込んだ赤ワインである。

それは、主に神に捧げたものだが、私は、その赤い酒に幻惑された縄文の女を思い浮かべた。
あんらく亭の大フアンである私には、その料理と酒に幻惑されて、数知れぬ失敗を繰り返してきた過去があるからである。

 


  
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2008年08月09日

三つ子の魂

幼馴染の房ちゃんから本が届いた。
京都大学名誉教授である笠原三紀夫氏の書いた<エネルギ‐と環境の疑問>という本である。

前表紙に一点、裏表紙に五点、
房ちゃんの版画 (シルクスクリ‐ン)がカラ‐で掲載されている。
また、各章の区切りには、同じ作品がモノクロで彼女のコメントと共に掲載されている。

添えられた手紙によれば、インタ‐ネットで彼女の版画を見た笠原氏が、
作品制作の根本思想と本出版の根本思想が一致することに気付き、
固い話のディ‐ブレイクとして、掲載させて欲しいと要望されたということであった。


■メキシコのトナラ焼きには身近な動物をかたどった物が多くあり、その背中には、草や花、虫や獣など、奇想なモチーフが用いられて描かれている。
 私の好きなこの大きな猫も背中に白い鹿を背負っているが、この飛騨の地で何を想っているのであろうか。







手紙の中で彼女は、
洞爺湖サミットの生ぬるさを指摘し、目先しか見ない人達をエゴの固まりだと指弾している。
彼女の版画制作のテ-マは、「地球の環境保全と世界平和への祈り」であるという。


「純粋だなあ」

私は、子供の頃の房ちゃんを思い浮かべた。

一寸法師の真似をして遊んだ時、房ちゃんはそのたらいの船で都に辿りつけると思っているらしいふしがあった。
可愛らしい人であった。

代情房子 作品HP  ・・・ 純粋さを保つ人間の深淵を覗くことが出来ます。    




  
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2008年08月03日

ハスと男と二人の女


午前六時半、
然る寺院の伽藍に座る。

大学教授を退いた男が、第二の人生を凌ぐために始めた研究の意義や成果を拝聴する為だ。
また、日本の最高学府を極めたこの友人の脳の内部を探る目的も絡んでいる。

口の中の粘液を採取し、DNA解析により飛騨人のル‐ツを探るという彼の研究は、
己の根源を探るという意味では文学的であり、長閑であり、憎めないものである。

元々、男と女の結合に由来する研究には、エロスの香りが潜んでいる。
まなじりをあげて戦闘的になる必要もなく、さりとて、寝物語に堕する必要もない。

彼によれば、飛騨人のル‐ツは琉球系縄文人だという。

彼の話を聞きながら、私は私のル‐ツに思いを馳せた。
私を生んだ母を思い、父を思った。

私は、父と母との情熱的な思いの結実であろうか。それとも、惰性的な行為の結実であろうか。
私を支える血は、如何なる人を掻い潜った血であろうか。
もしかしたら、人さらいや泥棒や極悪人の体内を流れてきた血かも知れない。
しかし、どうであろうとも、私は血の継続によって存在している。


■インド・カシミール地方の民芸品 ペーパーマッシュの小箱の柄のように、細かな花柄がひとつひとつ手書きされた椅子。
この木製の折りたたみ椅子を車に積んで思うままに走り、どこかの木陰でチャイでも飲みたい。









優しい話を難しくし、難しい話を優しくする彼の頭脳の冴えは見事である。
彼の口から軽々と飛び出す知識の欠けらは、聴衆を魅了する。
彼はチンパンジ‐の遺伝子、即ち設計図は、人間とほぼ同じであると述べた。
だから、チンパンジ‐にも極楽があってもいいと力説した。

盛大な拍手を得て、彼の講義は終わった。伽藍に下がる瓔珞を揺るがすごとき拍手であった。
彼を崇拝するという友人のSも、力いっぱい手を叩いていた。私も、少し気後れしつつ手を叩いた。

帰り際、そのSを寺院の裏にあるハス池に誘った。
早朝のハス池には、極楽浄土を具現するかのような美しい桃色のハスが咲いていた。

チンパンジ‐にも極楽があってもいいと力説した彼の極楽とは、如何なるものだろう。

私は、彼を最も崇拝するというSの顔を見た。
Sは、極楽に舞うという天女のような眼差しで、ハスに見入っていた。
あどけなさの漂う彼女にも琉球系縄文人の血が流れているのであろうか。

「一万年前の大賀ハスの花はどんな花だったんだろうね。」とSが言い、
「花弁が尖っているのが大賀ハス。」 と私は答えた。
話は人のルーツから蓮のルーツに及び不思議な朝であった。












  
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