2008年08月03日
ハスと男と二人の女
午前六時半、
然る寺院の伽藍に座る。
大学教授を退いた男が、第二の人生を凌ぐために始めた研究の意義や成果を拝聴する為だ。
また、日本の最高学府を極めたこの友人の脳の内部を探る目的も絡んでいる。
口の中の粘液を採取し、DNA解析により飛騨人のル‐ツを探るという彼の研究は、
己の根源を探るという意味では文学的であり、長閑であり、憎めないものである。
元々、男と女の結合に由来する研究には、エロスの香りが潜んでいる。
まなじりをあげて戦闘的になる必要もなく、さりとて、寝物語に堕する必要もない。
彼によれば、飛騨人のル‐ツは琉球系縄文人だという。
彼の話を聞きながら、私は私のル‐ツに思いを馳せた。
私を生んだ母を思い、父を思った。
私は、父と母との情熱的な思いの結実であろうか。それとも、惰性的な行為の結実であろうか。
私を支える血は、如何なる人を掻い潜った血であろうか。
もしかしたら、人さらいや泥棒や極悪人の体内を流れてきた血かも知れない。
しかし、どうであろうとも、私は血の継続によって存在している。
■インド・カシミール地方の民芸品 ペーパーマッシュの小箱の柄のように、細かな花柄がひとつひとつ手書きされた椅子。
この木製の折りたたみ椅子を車に積んで思うままに走り、どこかの木陰でチャイでも飲みたい。

優しい話を難しくし、難しい話を優しくする彼の頭脳の冴えは見事である。
彼の口から軽々と飛び出す知識の欠けらは、聴衆を魅了する。
彼はチンパンジ‐の遺伝子、即ち設計図は、人間とほぼ同じであると述べた。
だから、チンパンジ‐にも極楽があってもいいと力説した。
盛大な拍手を得て、彼の講義は終わった。伽藍に下がる瓔珞を揺るがすごとき拍手であった。
彼を崇拝するという友人のSも、力いっぱい手を叩いていた。私も、少し気後れしつつ手を叩いた。
帰り際、そのSを寺院の裏にあるハス池に誘った。
早朝のハス池には、極楽浄土を具現するかのような美しい桃色のハスが咲いていた。
チンパンジ‐にも極楽があってもいいと力説した彼の極楽とは、如何なるものだろう。
私は、彼を最も崇拝するというSの顔を見た。
Sは、極楽に舞うという天女のような眼差しで、ハスに見入っていた。
あどけなさの漂う彼女にも琉球系縄文人の血が流れているのであろうか。
「一万年前の大賀ハスの花はどんな花だったんだろうね。」とSが言い、
「花弁が尖っているのが大賀ハス。」 と私は答えた。
話は人のルーツから蓮のルーツに及び不思議な朝であった。
Posted by 宣 at 14:20│Comments(0)
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